2022年03月26日

日の当たることもある

建物に於いて、
「設備」というのはどちらかというと
日陰の存在である。


表立ってその存在を主張することなく
陰ながら居住環境を作り出し、整えているから。


そして、設備機器類も
建物の側面や裏面、
屋上や地下、
世の中から隔絶された機械室の中など
たいてい日陰の存在なのである。



でもたまに、日が当たることもある。


22032601.JPG


ま、日が当たったからといって
人々の視界に入ったからといって、
それが認識されるかどうかは別なのだ。



人間の脳はかなり高度であって、
眼球から光信号が入ってきて
網膜で受像して
視神経によって脳に運ばれてきたとしても
脳においてそれを知覚するとは限らない。

膨大な視覚情報を適宜取捨選択して
自らにとって不要な情報をカットする能力が
備わっている。


全部を同等のデータとして取り込んでしまうわけではない。


AIの画像認識の精度も向上してきたけれども
その点の処理については
まだ人の脳には及ばないのだとか。

(顔認識なんかは、かなりうまくいくようになってきた)


「せつび」は、たいていの人たちにとって
不要な情報である。

だから、常にカットされる対象である。
認識外に捨て置かれる対象でしかないのである。



でも、日が当たろうが当たるまいが、
認識されようがされまいが、
「せつび」はそこに在る。


在って、働いている。



人々から認識されようがされまいが、
有難がられようが無視されていようが、
そんなことは本質ではない。



劣化損傷によって機能できなくなるまで
黙々と(時に運転音を軋らせながら)
なすべき働きをするだけなのである。


そういう「せつび」に関わる人たち自身も
そんな側面を持っているような気がする。
(「日の当たることもある」おわり)
posted by けろ at 10:00| Comment(0) | 設備一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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