2022年02月07日

建て替えるから壊すんだ

しばらく前。


ひっさびさに脇を通りかかったら、
全体が仮囲いで覆われていた。



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そっか。そういえば そんな話 を聞いたことがあったな。



1970年完成というから、半世紀を経ているわけだ。
その気になればもっともたせることは可能なんだろうけれども
経済的・商業的に寿命が尽きたということであろう。



省エネだ省資源だ温暖化対策だ云々言われている中であれば
本来的には断熱改修か何かをして末永く使用するのが良いのであろうが
それでは経済的にはもたない。

次々と現れる新築ビルとのテナント獲得競争にも不利。
高層化することで収益性も向上できる。

ま、いろいろな「都合」ってものがあるのだろう。



原理主義的に「地球を守るために建て替えを中止せよ!」
なんていう主張は、見たことがない。
(あるのかも知れないけど)


東京大阪名古屋などの大都市圏で次々と進められる
巨大プロジェクトのために生ずる環境負荷に対して、
いろんな団体は何か物申さないのかね。


リングプルやペットボトルキャップの収集とか
何ならベルマーク運動とか、
そういう「ちまちました」目先の事には一生懸命だけれども
もっと規模の大きなお話には目を向けないのはどんなもんだろう。

そのくせ「地球が」っていきなり飛躍する。



大雪が降れば、すぐ除雪されないことに文句たらたら。

「カーボンゼロ」を推進・称賛・奨励するのであれば、
除雪は人力でやるべきなのだ。
化石燃料をガンガン使った重機は動かしちゃならんのだ。

ロードヒーティングも、求めちゃイカンだろう。
あれこそ、地球温暖化に直接貢献しているじゃないか。



自動車は使わない。鉄道のほうがエコだから。

そういう主張もわからなくもないが、自分で計算してみたのだろうか。
「原単位」の妥当性について、どのくらい理解しているのだろうか。



結局のところ、自分の主義主張を訴えたいだけで、
ほんとうは「環境」や「地球」なんていうものは
「材料」に過ぎないんじゃないかなんて思うことがある。

その対象がたまたま「環境」であったり「野生動物」であったり
「政策」「宗教」「理論」「芸能」「知識」……。

何でもよかったりするのだ。


「自分が認められたい」最終的には、そこに行き着くのかもしれない。
あるいは「自己満足」。



とは言え、これはデリケートな問題だ。


こんなことを書いているワタクシ自身、
「せつび」を愛でたくてただひたすら書き殴っているだけの
自己満のモノでしかない。

たまたま対象が「アヤシイ陰謀論」ではなくて「せつび」であった
それだけなのかもしれない。



確かに、高尚で崇高で紛れもなく善人である人物も
皆無ではないのだろうけれども
そうそう多くは無いのではなかろうか。

たいていは「それっぽく」見せている、演じている、自ら思い込んでいる
そんなヒトなんじゃないだろうか。



いつの世にもそうだけれども、
かつての、また現在の有名人の訃報などを見るにつけ、
あるいは身近な方々のお悔やみに接するにつけ、
いろんな思いが心を巡るものである。


このビルは無生物で感情も意思も無いけれど、
そんなモノにさえ「もののあはれ」を思ってしまったりする。



構造的には寿命じゃないけれども
機能的・経済的にはもう寿命なんだ。


そう割り切るしか、無いよね。

たかが、建物なんだから。



となると、ね?



生物学的には寿命じゃないけれども、
社会的・経済的にはもう寿命なんだ。

ニンゲンに対しても、
そういう考えが生じてくるのも
仕方がないのかもしれない。

では、ヒトの価値を、どこに見出すのか。

その性格? 人格? 業績? 著作物?



そうじゃないところにこそ、
価値を、存在意義を、見つけたいところではある。

少なくとも、他人に対しては。



自分の事は……客観的に見えないから、
わかんないや。

とっくに寿命が尽きているけれども
自分が気づいていないだけだったりして。

いや、最初からそうだったのかな。



ま、それはともかく。



省エネ、環境対策、云々は
方向性としては当然良いことであって
ぜひ推進すべきものと思うのだ。


ただ、その方向性であったり方法論であったり
政治的経済的思想的事情も相まって、
たいそう複雑であるのだ。


だからあまり劇的なことはできやしない。
それをしようとすれば、独裁政治にせざるを得ない。

しかしそれを率いる人物が正しいという保証はどこにもなくて
いやむしろ間違っていても決してそれを認めず
突っ走ってしまうわけで、それはそれで良いはずはない。

いろんな相互作用があるはずだから、
良かれと思って進めたことが逆効果だったと後日判明することも
多々あるはずなのである。



そして、何をするにもカネが要る。
どこかから湧いてくるわけではない。
となると、経済的にも成り立つ計画でなければならない。



何より、平和でなくてはならない。
国家存亡の危機に際して、省エネなどに構っている場合じゃなかろう。

大地震、大噴火、大津波、パンデミック、そういう事態に臨んでは
環境対策は後回しにならざるを得ない。

現に、この2年間は全世界でコロナ禍に陥り、
ゴミを大量に生み出すとしてもマスク、ビニール、ボトル、その他
どんどん使用しているではないか。

経済活動停滞に伴い二酸化炭素排出量が減少した、という副次効果はありつつも
経済的にはこのまま成り立ち続けるはずもなく、
国家が破綻して暴動・内戦にでもなってしまえば
もう省エネどころじゃなくなる。



何やかや言いつつも、
こうして築50年の高層ビルを壊して、更に高層に建て替えるなんて
平和で安定している国に居てこそのことなのだ。


そして建て替わるビルは、従前とは比べ物にならないほどの
省エネルギー性能・環境対策の進んだものになるはずだ。

そうやって、時代は進んでいくのである。
たぶん。
(「建て替えるから壊すんだ」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | 建築工事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする