たまたま見かけた建物があれば
そして事情がゆるせば
(立入禁止とかじゃなくて、人通りも無くて)
やはり側面は見てみたいじゃない。
なぜって?
「そこに側面があるから」としか言えないな。
建物って、正面は確かにキレイに化粧がしてあって
程度の差はあるけれども
見た目に気を遣っている
どちらかというと余所行きの顔なのだ。
でも側面は、そういった呪縛から開放されていることが多い。
もちろん、繁華街の建物や象徴的建造物なんかだと
側面にも裏面にも気を遣わなくちゃならないこともあろう。
ニンゲンだって、ある程度の立場の方々になれば
その風体に隙があってはならない。
ただ、ごく一般の庶民はそんなことはなくって
全く見目に気を配らない人もいるし
目につく部分だけに手を加え、
あまり目につかない部分は省略されていたりする。
それと同じだ。
そして、
着飾っていない、素のままの様子にこそ
その人の人格がにじみ出るように
建物も化粧っ気のない側面や裏面にこそ
その品格(品確、じゃないよ)や性格が
表されてくるのだ、とは言い過ぎかな。
まあ、あれだ。
尤もらしい理由は後付でなんとでも言えるが
要するにそういう趣味なのだ。
というわけで、
今回の鑑賞作品は、これである。
雑草生えまくりで
あまり気張らないタイプの建物である。
側面に並ぶ換気用のフードは、
珍しいとまでは言わないけれど
あまり多数派ではない形状の製品だ。
それだけでも結構眼福なのである。
外装目地の下端に合わせて取り付けられている。
プルボックスの高さも、
センター基準ではなくて下端基準にしてある。
そういう配置なんかも、見どころだ。
電線管はダクターに留め付けてあるだけ。
ほんとに、気張らない造りだ。
あと見える設備は
散水用の水栓と水道メーターの指示計、
草に埋もれかけのメーターボックスくらいか。
すんごく感動しなくても良いのだ。
ただ、「みんな違って、みんな良い」のだ。
家柄がどうの、育ちがどうの、成績がどうの、
そういう物の見方もあるのだろうけれど、
純粋に「今ある姿」に目を留めてみるのも
良いのではなかろうか。
そりゃね、人それぞれなんだから
感想や思いは異なるのさ。
でもね、世の中自分だけが存在しているわけでもない。
いろんな考え方、価値観の人々の集合体なのだから
プライドとか過去のしがらみとかに固執しだすと
収拾つかなくなってくるのだ。
ただ素直に、現状を見てみる。
それをまずは心に受け入れてみる。
そこからで、いいんじゃないだろうか。
ただ、相手が攻撃的な性質の人であったら
可能なら逃げるしかないかもしれない。
逃げることが能わないばあいは……。
闘わざるを得ないときも、あるのだろうね。
(「建物の側面は見てみたい」おわり)