2022年01月15日

時代感が溢れている

昭和は遥かに過ぎて平成、令和と元号が変わり
建物は建て変わり、あらゆる設備は古びていく。


そんな中、昭和の面影を色濃く残す建物と
それに付随する数々の設備が愛おしい。



10年古いものは、遅れてる。

20年古いと、古臭い。

30年古いと、ボロボロ。

40年古いと、一周回って新鮮。


……なんて、誰かが言ったか言わないか。
時代ごとの流行ってものがあるのだけれど
何事でも突き抜けて古ければ、
むしろ価値あるモノとして取り扱われよう。



たとい不注意で割ってしまっただけの食器であったとしても
2000年を経て出てきたものは立派な遺跡の出土品である。



さて、縄文時代まで遡るようなスケールではないのだが
こういう建物を見ると、なんか嬉しい。


22011501.JPG


ああ、この時代感。

そして、それに負けない設備たち。

一部新しくなっている部分が混在していたりして
それがまたカワイイ。



今にも壊れそうな、
いやむしろ、もうとっくに壊れてない? 的な、
古びに古びた設備たちが、愛おしく見えてこないだろうか?



側面にも、いろいろと取り付けられている。


22011502.JPG


それらのすべてが、時代感に溢れ、カワイく、愛おしい。



この建物も、たぶん背面側面を見ているからそう思うのであって
正面の表通り側はきっと、キレイに塗られていて
時代感はそれほど感じないのではあるまいか。



ま、ニンゲンも同じで、
古びてきてもオモテはそれなりに取り繕うものだ。
見えないところや中身は、年齢相応にくたびれてきていたとしても。



奥に見えるビルなんか、もうさっき建ったばかりのように
見えてこないだろうか。
超近代的な感じに。


いやでも、あれもそれほど新しくないはずだ、確か。


古代エジプト展などで、3千年前とか4千年前とかのモノをたくさん見た後で
奈良とか鎌倉とかの時代の事物を見ると
ずいぶん新しく見えてしまったりする、アレだ。
錯覚の一種なんだ。



地震国だし、他の自然災害も多いし、
日本では古い建物がそのまま残されて利用されることも
多くはない。

けど、まあ、何でもそうなのだ。
日々流転、諸行無常、どんどんと変わっていくのだ。


その一瞬一瞬を切り取って、
今を生きているのだ。われわれは。
(「時代感が溢れている」おわり)
posted by けろ at 08:00| Comment(0) | 設備一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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