もはや古典と称して良い部類の「ドラえもん」。
今や、美術館に展示されるような存在となった。
というわけで、美術展である「THE ドラえもん展」を見てきた。
じつは、藤子・F・不二雄氏による作品の展示ではない。
ドラえもん誕生50周年を機に、国内外のアーティストに
「あなたのドラえもんをつくってください」と委嘱して制作された
作品群の展覧会なのである。
撮影禁止のものもあるのだけれど、「SNS等で拡散してね」というものも多く
それゆえここで一部ご紹介しておきたいと思うのだ。
もちろん、撮影可のものだけである。
(なお、作者名については敬称略とさせていただく)
入り口に、特大の絵。
画風でわかるだろうか。村上隆の作品である。
写真では大きさがわかりにくいけれども
壁一面を占めるサイズとなっている。
ついでに天井の設備も撮ってみる。
こうして見ると、画の大きさが少しわかるだろうか。
美術館に元々設置されている照明と、
展示のために増設した照明とが混在しているように見える。
そう。美術館に於いては、
作品を照らすための照明も重要な要素の一つであって、
施設としてのものの他に、展示ごとに設営する電気工事も発生するのだ。
その際に、非常照明を阻害したり、
火報の感知器を塞いだり、
スプリンクラヘッドを埋めてしまったりしてはいけない。
立体物に光を当てて、その陰を鑑賞するタイプの作品。
このメカメカしい? 細胞っぽい? 背中、どう?
西尾康之の作品。
こういう立体モノがあるかと思えば、
写真家 梅佳代による、こんな作品も掲げてあった。
おじいちゃんが、ドラえもんを被って日常を送っている。
えてして芸術とは、凡人や素養の無い者にとっては
理解不能なものだったりする。
が、そんなワタクシであったとしても、
何かを感じ、何かを受けているに違いない。そう思うしかない。
森村泰昌、コイケジュンコによる作品。
いろんな作品に、マンガの一場面や映画の一カットのオマージュが
散りばめられているようだ。
詳しい方なら、一つ一つにその出典を見いだせよう。
この衣装は、マンガのページで出来ている。
ドレスの下の方に、辛うじてコマ割りが見てとれる。
なぜこれを作りたかったのか、
どうしてこう作りたかったのか、
訊くのは野暮ってもんなんだろう。
マネキンに着せて展示してあるだけじゃないんだ。
作者自ら纏って撮った写真も掲出されているのだ。
わからんけど、なんかスゴイ。
感受性が悪くて、申し訳なく思う。
おお、レンブラント!
あなたもまた、ドラえもんの幻影に呑まれたのか。
画家 福田美蘭による。氏は、和風の画も描かれていて
どこかで見たことがないだろうか。こういう作風。
でも、ドラえもんなのだ。そういう展示なのだ。
坂本友由による、巨大なしずちゃん。
《僕らはいつごろ大人になるんだろう》という題がついている。
実際に床から天井まである、巨大な画である。
どの映画のどの場面か、わかる人にはわかるのだ。
動画撮影禁止だったので、静止画ではあるが
意味がわかるだろうか?
後藤映則による立体作品。
この立体に、上部から光を当てていくと
円光源が拡がるにつれてドラえもんのキャラクターたちが動く。
そんな作品である。
なんか、文章ではうまく表現できないや。
近藤智美によるドラえもん。
『ときどきりくつにあわないことするのが人間なのよ』
数多くの展示があって、すこぶる面白かった。
ワタクシ自身は美術的な素養は皆無であるけれど
多種多様な表現方法にもいたく感銘を受けた。
撮影不可であったが、
メディアアーティストのクワクボリョウタの作品など
とてもおもしろかった。
ドラえもん展については、過去の公式ページ などで
動画も含めて多数紹介されている。
世の中に、こんなにいろんな感性を持つ方々がいて、
こんなに様々な感じ方、表現の仕方があるんだと
リミッターが外れる感覚を得られるかもしれない。
鴻池朋子が雪山でドラえもん主題歌を絶唱する動画とか
もう、何が何だか。
だとすると、ワタクシがこうやって
わけのわからん(と一般の人々から、いや意匠屋さんからも評されるであろう)
「せつび」に関する雑多な興味をネット上で晒しているのも
一定の感性の方々には届くのかもしれない、
そういう可能性は残されているのかもしれないと
少〜し光明が見えてくる気もするのである。
ただの、気のせいかもしれないけれども。
小展示室に、記念撮影コーナー。
ノズルとドラえもんのコラボなのだ
(「ドラえもん展にて観想する」おわり)