実は、優駿の門 の正面にあるのが
浦河町立郷土博物館 である。
浦河町のかつての事物や産業、生活などについて
展示してある施設だ。
外観を見てわかるように、元々小学校だった建物を
博物館として使っているのだ。
正面玄関は、かつての昇降口であろう。
脇に停まっている車は、室蘭ナンバーである。
豊浦町からえりも町に至るまでは室蘭運輸支局の管轄であるので
途中の浦河町も室蘭ナンバーとなるのだ。
もっとも、途中の苫小牧市部分だけは管轄は同じだけれども
苫小牧ナンバーとなっている。
展示室部分の外壁は、倉庫のようにも見える。
けれどもよく見ると、元々窓があって、
それを塗り込めた状態であることがわかる。
教室が並んでいたのである。
屋根に煙突が飛び出ているのは
薪か石炭を燃やすストーブが各室に置かれていた名残であろう。
中に展示されているのは、
自然、産業など多岐の分野にわたる。
この地に住む動植物の、写真、剥製、模型などなど。
昔のおもちゃとか、雑誌とか。
このあたりは、全国共通かもしれない。
漁具の類。
実際に使われていたものを
保存しておいたのだろう。
農機具も、さまざまに。
使われ方を示す絵が独特で、
絵の得意な人が一生懸命描いた感じ。
縄ない機は、いろんな資料館で見ることができるが
それぞれの地で実際に使われていたものが置かれているのだ。
場所によっては動態展示ということで、
実際に縄ないを行うところもあったりする。
籾殻を除去する装置。
壁に掛けられているのは、鋤のようなものかな。
動力式の脱穀機も残されている。
昭和34年購入のものだというから
60年以上前になろうか。
もっと昔、和人が入ってくる前の住宅の復元も。
かと思うと、近代の住居も。
ひたすら、いろいろ置いてある。
ランプと囲炉裏が、辛うじて「せつび」である。
廊下部分には、消防ポンプ車が置いてあった。
と言っても、手動なのだが。
荻伏消防組 と書いてあるので、
浦河町内でもこの博物館よりだいぶ北西に位置する
荻伏(おぎふし)地区で使われていたものだろう。
さて、かつての学校らしさは
随所に見られて。
古い建物に天井は、こんな感じのところが多いだろう。
照明器具は後付けだ。もちろん。
火報なども、後から付け加えられている。
後から増設したトイレへ伸びる露出の給水管は
冬は寒さで凍ってしまうのだろう。
凍結防止の電気ヒーターが巻きつけてあるようだった。
外には、古い古い丸形庇付の郵便ポスト。
かつての学校が廃校になって、
このような形で郷土資料館、郷土博物館のようになっている建物が
全国至るところに見られる。
この類の施設も、今後どのくらい保存されるものか、
少子高齢化・人口減少・過疎化の進む日本において
維持できなくなってくるところも
きっと少なくないに違いない。
ぜひ、ナマで見られるうちに、
行ってみようじゃないか。
そして、可能な限り、
ネット空間にせめて画像だけでも
保存しておこうじゃあないか。
Youtubeに動画を上げるもよし、
あるいは徐々に普及しつつあり、廉価化しつつある
3Dスキャナのデータなんかも、いいだろう。
紙や木や石に書いて、あるいは描いて、あるいは刻んで
残すしか手段のなかった時代とは違って
いろいろな残し方ができる現代。
後世に語り告げ、保存し、残す責務が
現代に生きる我々にはあるのではなかろうか。
なんて。
別にカネもらってるわけでもなし、
誰かに頼まれてるわけでも、強いられているわけでもなくて
ただ楽しいから、面白いから、興味深いから
そして好きだから、
そういう動機で良いと思うのだ。
「〜すべき」なんて使命感でやるようなもんじゃないんだ。
ただの趣味。時として変態的なまでの。
それらがいろんな分野で形として残ることにより
これまでも文化が形作られてきたし、
これからも続いていき、発展して、あるいは衰退していくのである。
こういうのを、文化庁あたりの予算で
どっかの企業に委託して「しっかり」やろうとすると
得てしてあんまり面白くない成果品になっちゃうんじゃないかな。
それって、ただの偏見かな。
(「浦河町立郷土博物館」おわり)