けれども長年にわたる品種改良によって
時代とともに徐々にその作付けは北上して
北海道も今やかなりの稲作地となっている。
とは言え、北海道全域で作付けできる状態には
至っていない。
ではその北限はどこに?
国道232号線の、通称『オロロンライン』を留萌から北上していくと
遠別(えんべつ)町の市街地を過ぎたあたりに
「日本最北の水田」という案内看板が立っている。
国道から中川町へと抜ける道道119号を東行すると
「日本最北の水田入口」なる看板が見える。
一瞬なので、うっかりしていると見落としてしまう。
googleでもyahooでも、スマホのナビをセットしておけば安心だろう。
この看板から北へ折れる。
500m先に、それがあるらしい。
この看板の向かい側は牧草地。
牧草ロールが転がしてあった。
水田、あるの?
500m先と書いてあったんだから、
あるんだろう。
農家の私有地? という感じの道を進んでいくと、
道に蛇が這っていたり、
農家のご主人らしき方が作業小屋で何かしておられたり、
そんなところを過ぎて進むと、
やがて突き当たる。
あったで!
あの先のイネが、日本最北のイネなんや。
あれが実ると、日本最北のコメになるんや。
立派な擬木看板が立てられていた。
ご主人が自前で立てたと言うよりも
町が観光開発の一環として立てたという感じだろうか。
今までに見てきた道路標識も、そうなんだろうか。
それとも道道の看板は、道の予算で?
看板を最後まで読むと、「もち米生産地」と書いてあるので
うるち米ではないのかもしれない。
ここ、見たからと言って、
フツーの水田と特に何も変わりはない。
『最北』であることは、看板や地図を見てそれとわかるのみ。
でもね、それがいいじゃん。
いわゆる観光地観光地している場所も
それはそれで魅力があって楽しめるのだけれど
ひっそりと、それでいてしっかりと、そこにある
あんまりメジャーでない観光(?)地っていうのも
趣があっていいじゃないか。
今よりもずっと気象条件が厳しくて、農機も重機も肥料も農薬もない
そんな 大正7年(1918年) に
こんなに北の地で稲作を初めた佐藤さん、
口では言い表せない様々なご苦労をされたことであろう。
つくづく、昔のひとたちはスゴい。
その意気、その決断力、その行動力。
(「日本最北の水田」おわり)