なんか、面白かったもので。
丸亀城跡の一番高い場所に
天守が残されている。
その威容! と言うには、かなりこじんまりしているのである。
3層。
松本城や姫路城のような大きなものばかりが天守ではないのだ。
入り口のある面は……。
とっても、控え目でしょ?
12しか残されていない現存木造天守の中で
一番小さなものだということだ。
当初丸亀城として築かれたのは、江戸時代になる直前。
それから400年以上が経過している。
もっとも、現存の天守は江戸初期に山崎氏により建築されたもので、
それからだと370年余になるだろうか。
城主となった、生駒家、山崎家、京極家の家系図。
まあそれぞれ、遠い遠い親戚にあたる関係であったようだ。
小さいだけに、中はすぐ見尽くすことができるのだが
やっぱり細かいところも見てみたいじゃない?
火打ち梁ももちろんだけど、
消火器とか消火器ボックスとか。
窓にガラスが嵌めてあるぞとか。
折角だから、架構も見るけれど。
ボルト・ナットじゃなくって、
釘と鎹(かすがい)。
階段は、急だ。
階段とはしごの中間みたいなモノ。
手すりや補強金物は、
後付けだと思われる。
ノンスリップまでつけてあるし。
元のままじゃ、現代人には危険過ぎる。
木造3階建て。
文化財だけれど、やっぱり火災報知器は必要だよね。
屋内消火栓だって。
消火栓箱も、配管も、
木の色に近づけた塗装を施してある。
もちろん、電線管やボックスも、だ。
白い壁が背景だから、目立つっちゃ目立つけど、
っていうか、存在を認知されないのはまずいから
壁と同色にしてしまうわけにはいかなかったんだと思うけれど、
まあ、いい感じじゃないかな。
最上階(3階!)からは、城下を見渡すことができる。
かつては、いろいろ建っていたんだろう。
石垣だけが、残されている。
丸亀の市街地が、視界に連なる。
瀬戸内海に面した港に林立するクレーンと
遠く、瀬戸大橋も見渡すことが出来る。
四国山地の山々は、
なんか、他地方のそれと形が違うような気がする。
コニーデ火山のような、
スラッとした形じゃないのだ。
なんか、もこもこした感じ?
『讃岐富士』とも呼ばれる飯野山も、
平地がボコッと盛り上がったような
そんな形状。
市街地や瀬戸内の長大橋はともかく、
これらの山々はきっと、最初の築城から400年間、
同じように四季折々の表情を
各時代の人々に見せてきたのであろう。
400年、かぁ。
そのくらい生きてたら、
それでもやっぱり「人生って案外短いもんだ」なんて
感じるものなのかなぁ。
なげ〜、ヒマ〜、退屈ゥ〜
って、なるのかな。
ならないような気がするなぁ。
(「丸亀城は400年」おわり)