本来は難しいのだと思うのだが
存在感を放っているのは何と言っても『国立アイヌ民族博物館』である。
中央付近から入ると思いきや、
画像で一番右端がエントランスになっている。
なんか、エントランスっぽくない。
でも、ちゃんと館名表示があるのだ。
第一言語は、アイヌ語(のカタカナ表記)なのである。
第二言語の日本語以降、英語、簡体字、繁体字、ハングルの順に
表示がある。
館内、基本的にこういう表記なのである。
現況では、ほぼ国外からの訪問者は居ないのだけれど。
(若干、定住外国人らしき人々は、歩いている)
博物館の入館もすべて込みの入園料であるから、追加で入館料を払うわけではない。
館内、2階のガラス面から外を見ると、
体験交流ホールやポロト湖が一望できる。
ガラスが斜めに取り付けられているため、
管内の反射光で外が見にくくなったりしない。
博物館展示には撮影禁止のものもある。
撮影可能な展示の一部をご紹介する。
食の展示。
飽くまで模型なのだが、実物(風のもの)は、
一昨日ご紹介したような施設で食することができる。
イヨマンテの説明である。
他の感覚からすると、かなり残虐なものに思える儀式であるが
どの民族にとっても他の民族の何かしらはそんなものである。
さまざなま展示の説明にも、アイヌ語(カタカナ表記)が付されているのだが
さて、果たしてこれを読み理解できる人がどのくらい存在するのか……。
ただ、目的は違うのだ。だから、それで構わない。
ただの文字の羅列ではなくて、一つの文化背景を持った言語であって
消滅しかけていたものを復元・再興しつつあるのだと感じることができれば
それはそれで意味があろう。
数千年の時を経て復活させた言語であるヘブライ語という事例があるのだから
不可能・無意味ということはできまい。
古代から現代日本に繋がるところまで展示されていて
アイヌ民族にルーツを持つ方々が現代日本で取り組んでいることの一端も
紹介されていた。
エレキ・トンコリ。
現代技術や他文化と融合しつつ、オリジナルのエキスも失わない、
そういう『変遷する文化』は
過去の遺物ではなくて現代に息づく生きた存在として
継続していくものであって然るべきだと思うのだ。
この国立の博物館についても、
造詣のある方々、ルーツを持つ方々、諸外国の先住民族の方々から
いろいろな意見が表出されよう。
賛否両論、あろう。
それはそうだ。
決して、簡単な、単純な、表層的なものではないのだから。
非常に入り組んでいて、凄惨で、複雑で、根の深い課題を多く内包した
そういうものなのだから。
『北海道旧土人保護法』
明治32年に制定された法律が廃止されたのは、平成9年である。
侵略・迫害・差別した側の「国」が建てた博物館ゆえ
それらの負の歴史に関する言及があまりに少ない・薄められている
そういう批判が出たとしても、致し方ない面があるのではなかろうか。
「民族共生」を謳いながら、
結局「和人」の一方的な施策になっていないか?
そういう疑問が呈されるかもしれないが、それも現時点ではやむをえまい。
いろいろな課題を抱えつつも、
スタートした『ウポポイ』。
計画・建設した国の担当部署も、ただの「ハコモノ」として形だけ整備した
というわけではあるまいから、今後もいろいろな取り組みを進めていくことであろう。
国に先立って従来より取り組んできた自治体「北海道」も
国と意見交換、時には対立しつつ、今後も取り組み続けていくことであろう。
和人と一切の接触のない「純血」のアイヌ民族という存在は
もはや無いのかもしれないけれど、
それぞれのルーツを意識した上で『民族』について思いを馳せ
文化を受け継いでいく人たちも現れてこよう。
「日本は単一民族国家である」
そういう発言も普通になされていた時代から、
1つ、2つと進んでいくことであろう。
東京国立博物館 や 国立科学博物館 の
圧倒的展示量と入館料と比較して「高い」「ちゃっちい」と感じる方も
おられるかもしれない。
それでも。
北海道白老の地に、今年、造られたこと。
トーハクや科博とはまた違った面で
多くの思索と考察を得られる場所でもあるのだ。
倍々ゲームで増えていった外国人観光客がほぼ皆無の現在こそ、
落ち着いて堪能できる良い機会なのではないだろうか!
(「北国の国立博物館」おわり)