2020年06月07日

ああ、あの人の曲だ。伊福部昭。

伊福部昭 という人をご存知であろうか。


独学で作曲を習得した作曲家 ということである。


「公式ホームページ」というのが、いつまでも暫定版のまま。



北海道釧路で生まれた後、音更(おとふけ)町に移り、
札幌二中〜北海道帝国大学農学部を経て帝室林野管理局勤務となり
その傍ら作曲活動をしていたそうである。



それを記念して、音更町には 伊福部昭音楽資料室 が設けられている。

資料室は、音更町図書館 の一室にある。



図書館正面。


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ガラスの直方体と、RCの左右に広がるアプローチが特徴的である。


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設計は、山下設計 が担当したようだ。



正面入口は……実は、視認しづらい。


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図書館、の文字が小さく、自動ドアも中の様子が伺えないもので

「ここから? 入っていいんだよね?」

初見だと、戸惑う。


まあ、戸惑うのは最初だけで、2回目以降は気にならないだろうし
町民のための施設であるからして問題はないのだろう。



音楽資料室の看板のほうがだいぶ大きいので、
かなり力の入った資料室であることが期待される(かもしれない)。



エントランスを入り、展示ホール的な場所を通過しそのまま奥に進むと
資料室が2階にあることがわかる。


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図書館は1階この奥にあるのだが、
その存在よりも目立つ、資料室の表示なのである。



階段を上がり、折れて少し進むと「資料室」があった。


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中には、氏の業績を物語る、様々な文字、文字、文字、写真。


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文書庫 + 文字資料

そんな感じの展示であった。



そう。

「博物館」「記念館」なのではなく、
文字通り「資料室」なのであった。

そして、「室」は、この1室のみ。
そんなに広いスペースではない。

「博物館」の期待感を持って行くと、ちょっと拍子抜けするかも。



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音楽CDやレコードの収蔵もある。

脇のミュージックボックスで240曲聴けるとのこと。



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作品リストのうち、映画音楽部分。


そう。あの「ゴジラ」のテーマは
彼の作品であった。

他にも、実際に聴けば「耳にしたことのある」曲は
きっと多いに違いない。



本来はクラッシック音楽の作曲家であって、
国際的な作曲コンクールで優勝したりしているらしいのだが
映画音楽のほうが一般には馴染みが深そうである。


うん、いろんな人がいるものだ。



さて、折角なので「せつび」も観る。



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廊下端部、階段室手前・エレベーターホールの外壁には
温水パネルヒーターが設置されている。

北海道十勝の寒冷条件を考えれば、
この広い窓面の外皮負荷処理は重要である。

天井面には、ファンコンベクターの吸込口とおぼしきものも見える。



エントランスホールの外壁面は、
全面ガラスである。


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足元まですっきりと、中庭を見渡せる。



この寒冷地で、このガラス面が結露してしまわないために、
窓下に放熱器を置くのが一般的なのだが、
ここではそれを、このような納めにより実現している。


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窓下の、グレーチング。

放熱器は、この下に入れてあるのだ。


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どうせピットは造るのだし、
配管も通すのだから
放熱器ごと納めたって構わないよね。



放熱器は、敢えて見せても良いだろうし、
このように表に出さなくても良かろう。


意匠設計者の感覚・考え方・好みに合わせたい。



設備設計にかかわるワタクシ個人の好みにも
これは合致している。

デザインを重視するあまり機能を犠牲にするものではなくて
機能性も維持した上で実現されている計画であるから。



「意匠」は大事だろう。


「人は見た目が9割」なんて言われるくらいだ。
「見た目」は、たといそれを意識していなかったとしても
人の思考に及ぼす影響力は大きなものである。


けれど、もし「見た目だけ」にこだわるならば、
それは不健全でもある。



昔、女性の肌が白くなるからという理由で
水銀化合物が化粧品として使われていたというが
それは単に水銀中毒で顔が青白くなるだけであった。


理屈がわからなかった時代は仕方ないのかも知れないが
現代でそれをやればもはや犯罪である。



「室外機の見た目が邪魔」という理由で、
厳重に目隠しの板で覆ってしまえば
効率は激減し能力も下がり
人にとっても機械にとっても良いことはない。

邪魔にならない場所に置くとか
効率を犠牲にしない隠し方をするとか
できることはたくさんある。

何も考えることなく
単に「邪魔」と片付けるのは、
非常に乱暴なことだ、とワタクシは思う。



その「乱暴」が、結構いろんなところで見られるのは
悲しいことだとも思う。



逆に、そのあたりがとても良く調和してると、
楽しく、嬉しくなる。

そんな「作品」に、たくさん出会っていきたい。
(「ああ、あの人の曲だ。伊福部昭。」おわり)
posted by けろ at 12:00| Comment(0) | 設備一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする