2020年05月12日

タイルが剥がれてきた

タイルが、剥がれてきた。

ある日、バラっと。



20051201.JPG



打診棒でこすってみると、
もう壁一面、浮いてるやん。



だいたいもって、「打診棒」という名前なのに、
「打診」するんじゃなくって「こすって」使う。
変なの。



まだ、内壁タイルならいいかも。
それにここはバックヤードだから
一般利用者に危害が及ぶこともない。



けど、外装材としてのタイルだと
落ちたらヤバイ。



今どき、
足場を組んで1枚1枚調べなくっても
赤外線カメラで大体の様子がわかるから
なかなか便利な時代である。



気にしてみると、
結構あちこちのマンション、ビルで
外装タイルの改修をしているのが
わかるはず。

外周全面に足場を組んで。



形あるものは、壊れる。

貼ったものは、剥がれる。

金属は、錆びる。

木材は、劣化する。



ケンチク(設備を含む)は、
いつだって劣化との戦いだ。



『人間』も、まあそんなものだろう。



やがて劣化せざるを得ないものであれば、

どのように劣化するか、
劣化した結果、見た目はどうか
機能的にどうか、
それに伴う被害がなるべく少ないのは。


そんな観点も、必要なんだ。



それでも、「先立つモノ」があっての話。



「兎にも角にもイニシャルコスト」



そういう案件が圧倒的に多いような気がするのは
零細設備設計事務所ゆえの特殊事情なのか、
ケンチク自体の宿命なのか。




世界経済を根底から揺るがし続けている
新型コロナウイルス感染症。


そろそろ、経済活動が動いていかないと
いろいろキビシイのではなかろうか。



感染爆発が起こるのは、
良いわけがない。


けれども、

「新型コロナで死ぬ人は居なくなりました」

「経済苦で死ぬ人が激増しました」

となるのも良くない。



「命か、経済か」


そういう二者択一ではない。
どちらも、密接に関わっている。



「最大多数の最大幸福」を目指すのだが
「多数」に含まれない「少数」にとっては
酷い仕打ち、
血も涙もない冷徹な措置、
抗うことの出来ない理不尽
としか言えなかったりする。



誰にでも受け入れられる解決策なんて、無い。



だから、何らかの判断を下す人たちは、
必ず激烈な批判を受ける。

批判する人にとっては、
まさに死活問題なのだから。

けど、それによって助かる人も居る。



大変だね。
政治家や、官庁のそれなりのポストの人たち。



大変なんだけれど、
「頑張ってるんだから、いいよね」ともならない。



必ず、何らかの「結果」が出てきて
その結果に対する責を有することになる。

そういう仕事だ、って言うしかない。

その責に見合った報酬ではなかったとしても、だ。



まだまだ、進行中の事態だが、
既に、首相や各知事に対しても
いろんな評価が下されつつある。



事が落ち着いた頃、
そして10年後、20年後に、
どのような評価として定着するのだろう。


目先の対策に一喜一憂するのも仕方がないけれど
少し長期的な視点も持っていたいものだと思うのだ。



思うのだが。



個人的には、
この感染症で死なないことにとどまらず、
経済的にも何とか成り立っていかなければ困るし、
他の病気や事故などに遭っても困るし。



自分自身が「最大幸福」に含まれない「少数者」に該当してしまう場合
果たしてどんな反応になるのだろう。

長期的視点、なんて持っている余裕なんて
無くなるんだろうか。
(「タイルが剥がれてきた」おわり)
posted by けろ at 10:00| Comment(0) | 建築工事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする