日本では、新年度である。
入学式、入社式は軒並み中止。
やるにしても、超縮小。
卒業式もそんなだったから、
この世代の人たちにとっては
一生の記憶として刻まれてしまうことであろう。
春が来るとともに、冬が去っていく。
紋別港に佇んでいた、ワシ。
彼らも、ゆくべき地に飛び立っていったことであろう。
海辺を覆っていた氷たちも、
岸から離れ、融け、その姿を消していったことであろう。
海面に漂う氷の、
何と移り変わりの早いことか。
こんな海面であったのに、
1時間後にはすっかり一掃されて
蒼い海面が、輝いていた。
天気も目まぐるしく変わり、
青から一転、鉛色に変化する。
新型コロナで、
従来型インフルエンザで、
新型の伝染病ではなくても、
さまざまな病気がこの世には溢れていて、
あるいは事件で、事故で、
原因不明で、
人々は亡くなっていく。
日本人だけで、
毎年130万人は、死ぬのである。
明日その中に、自分自身が数字として乗っからない保証は
どこにもありはしない。
年齢にかかわらず、
誰も彼もが、明日をも知れぬ身なのである。
本当は。
あんまり気にしないようにしているだけで。
「縁起が悪い」とか言って、ただ見ないようにしているだけで。
たとい健康体であっても、
このような経済の大停滞下にあって、
経済的に「死」を迎える企業、個人も後を絶たない。
コロナ騒動がなくたって、
ありとあらゆる原因で、事業は失敗する。
企業は倒産する。
社員は路頭に迷う。
明けない夜はない、と言われる。
終わらない冬はない、と励まされる。
険しい坂も、かならずどこかで終わる、と叱咤される。
さて。どこまで的を射ているものか。
あるいは、的を外しているものか。
確実に、時は進んでいく。
世は、移り変わっていく。
諸行無常なのである。
それでも、われわれは、
死ぬまでは生きていくのだ。
生ある限り、
日々の営みは続いていくのだ。
それがどんなものであれ。
トランプ大統領は、
「イースターまでに通常の状態に」と期待しているという。
いろんな人々が、
いろんな予想をたて、
いろんな危機を説き、
いろんな希望を述べる。
はたして、今年のイースターの時期、
どのようになっていることであろう。
その結果は、すぐにわかるのである。
4月1日だけれど、
下手な冗談も言えない、そんなこの頃なのである。
何とも、まあ。
(「去りゆく冬とともに」おわり)